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懐かしいWindows95時代から有名だったチア画像スタイルといいポーズといい色気の塊で90年代のチアヲタを悩殺していたこんな小さなサイズの画像でも、ダイヤルアップ時代はDLにそれなりに時間がかかったものだ
歴史の有る国公立大学応援団バトン部がチアガールへと移行していた頃ですね。手にはバトン、アンスコはフリルの白のままスコートとシューズはチア仕様というイデタチ。私立大学のチアが次々とコスパン化する中神戸、大阪市立、京都、名古屋は白アンのままチア演技が本格化しピラミッドまでやってました。
80年代後半、大学チアでは希少だったフリルの白アンで、一人だけが馬になる稚拙なピラミッドの練習を試合開始前のアメフト会場の外でやってました。試合中もフィールドではなくスタンドの通路や階段に立って応援していたり、ハーフタイムショーもフィールドでやったもののバトン演技から始まり途中からポンポンに持ち替え最後は稚拙なピラミッドでした。この大学応援団バトン部にとってはこの頃がチアへの移行期だったようで、写真を撮っても何も言われない希少な大学でした。
1990年ともなると、チアユニにはスコートと同色のアンスコがセットで付いていた。この大学が新調したユニもそのようで、後ろのバトン部員のアンスコは緑色である。しかし手前の部員は従前からのフリルの白アン。実際に見た試合では半分位がフリルの白アンだった。相変わらずアメフト応援なのにスタンドの階段に立って、パントリターン(攻守交代攻撃開始)の振付けでは高々とサイドキックを決めていたので、当然白アンの部員の斜め下の席から撮らせてもらった。
その翌年またユニが替わったというか増えた。驚いたことに全員がフリルの白アンに戻ったのだ。その時は、白色のスコートだからかなと思ったが、冬用の緑色でも全員フリルの白アンだった。しかし結果的には、この年がフリルの白アン最後の年で、その翌年は白スコートでもセットで付いていたと思われる赤のコスパンに替わってしまった。そして皮肉なことに、ピラミッドも本格化するは大人数が側転するはとチア色が濃くなった。やはりチアへの移行期が最高だった。
毎年数試合見に行った所は大きな公園の中にある小さな競技場だった為か、試合前に周辺でバトン部員が単独でユニホーム姿で、一般人にビラを配り応援を呼び掛け廻っていた。初めの頃はビラを受け取るだけだったが、ハーフタイムショーで一人だけ側転する部員が来た時にダメモトで側転見せてとおだてながら何度もお願いしたら、目の前で見せてくれたのだ。背中が見えるほどフリルの白アン丸出しだったがカメラを取り出せなかったし、おヘソ側を撮りたかったので、今度は反対向きでとお願いしたが、愛想良く断られ「今日も応援よろしくお願いします。」と礼をしてビラを持ち去って行った。写真こそ撮れなかったが、今でも忘れられない光景だった。
その前年だったと思うが、ビラ配りに稚拙なピラミッドで馬になる部員が来たことがあった。しかし、その時はビラを受け取るだけにしておいた。おだてて馬のポーズを取らせても後ろから撮ったのではその後警戒されてしまうし、そんなリスクを冒さなくても、後ろから撮れたからだ。その日もビラ配りを終えると、スタンド裏花壇の前で準備体操後ピラミッドの練習を始めたが、前に撮った時同様に、花壇の方を向きお尻を通路側に向けてやるのだ。真後ろから撮り終えた後、この部員は以前に撮られたことを知ってか知らずか、先ほど私の所に笑顔でビラ配りに来たのかと思うとより一層興奮した。
マーチングバンドのチアは大きな演技が有るからレオタードやコスパンが多かったが白アンスコとは
白プリは側転を始めた時からまっ逆さまに垂れ落ちる。
床に直パンならぬ直アンしかもアンスコ越しにきわどい部分が当たっている